投稿者: ぐろべい

  • 100才まで人生を楽しむ

    最初に思い浮かんだ言葉は「100才まで元気に頑張る」だった。しかし、これだと元気(健康)でないと100才まで生きる意味がないように解釈できる。

    プレジデント7月31日号の特集「機嫌がいい人の考え方」によると、健康であり続けること自体が幸せにつながる一方で、健康でなくても幸せに生活している高齢者がいるとのこと。

    「目が悪くて見えにくいけれど眼鏡をかければいい」「膝が悪いけど、まあ我慢できる」と自分の健康状態に折り合いをつけて生きている人達だ。

    100才まで生きれば、必ず病気もするし、怪我もする。避けられないことや、既に起きてしまったことを嘆くより、毎日機嫌よく、残された体の機能をフル活用して100才まで人生を楽しみたい。動けなくなったら、一日中、ストリーミングで好きな映画を見る?

    最近はストレスもなく、自由に生きているせいか、東京時代より機嫌が良くなった。嫌な上司も、言うことを聞かない部下も、難題を吹っかけてくる顧客もいない。たまに面白くないことがあっても、「まぁいっか!」と気にしないように努めている。自分の機嫌は自分次第(心の持ちよう)。

  • サイクリングコースご紹介

    今年5月、ぐろべいでは初めての宿泊ゲストを東京から迎えた(アイランダー行政書士事務所の鈴木先生)。

    その鈴木先生が、早起きして事務所近くの常願寺川をサイクリング。その内容を「ぐろべい発サイクリングコースのご紹介(常願寺川巡りコース)」に纏めてくれた。さすが行政書士、良く出来ている! 内容は末尾ボタン(サイクリングコース)で。

    行政書士を探している人は、是非とも鈴木先生に!ただ、東京在住なので相談はリモート。先生の名刺は末尾ボタン(鈴木先生名刺)で。

    ちなみに鈴木先生、行政書士の肩書に加え、知識科学の博士、東京国際大学データサイエンス教育研究所特任教授、北陸先端科学技術大学院大学の産学官連携客員教授、日本島嶼学会準会員、鉄道設計技士と凄い人。

    ただ、事務所の名前が示す通り、これまで約320の島を旅したおかしなアイランダーでもある。見た目は、首からカメラをぶら下げ、近所をウロウロしている普通のおじさん。

  • 「9割やめる生き方」

    雑誌Presidentの最新版見出しだ(2026年6月12日号)。いつもは図書館で読むが、人生の参考になりそうなときは迷わず購入する。

    人生長く生きると、様々なことが積み重なり、だんだん動きが鈍くなる。PC(スマホ)に大量のデータが溜まり、動きが遅くなるのと同じ? そのような「人生の重荷」の9割に別れを告げて、残りの人生を身軽に生きようという処世術を様々な人が寄稿している。

    私も2020年に富山にUターンしたときに、約30年に渡った東京生活で積もりに積もった「人生の重荷」を板橋のアパートに置いてきた。

    会社を退職し、東京からも離れたことで、仕事関係の人間関係がリセットされた。ただ、仕事以外の人間関係(例えばNGO)は、そのまま継続している。たまに友人が富山に遊びに来てくれると、すごく嬉しい!

    仕事には「やりがい」を感じ、「もっと良い仕事が出来るのでは?」と人並みには頑張った。ただ、気付かないうちに無理をし、「心の重し(ストレス)」が溜まっていたようだ。それから逃れるために甘いものを食べ過ぎ、「体の重し(メタボ)」になっていた(酒はそんなに飲んでいない)。

    富山に戻ってからは、これら「人生の重荷(心と体)」からは解放され身軽になった。ただ、最近、なぜか体重がリバウンドし、警戒水域に達している。 何故だろう? 楽しすぎか?

    富山へのUターンを機に人生をリセットしたため、残りの人生を見据えて(あと50年ぐらい?)、人間関係、社会との関わりを一から構築しなければならなくなった。ただ、これからの人生に何を求めるかのビジョンが固まっていない。どうしよう?

    一度リセットした人生、当面は身軽な人生を楽しむか!

  • 最適追及派 vs 満足重視派 

    5月12日付The New York Timesのコラム「The Nobel-Winning Psychologist Who Believed He Found the Secret of Happyiness」を読んで、経済学者ハーバート・サイモンが提唱した「Satisficing (満足重視)」という概念を知った。

    Google AIによると「Satisficing 」とは「完璧な選択肢を追求するのではなく、自分にとって十分な基準を満たしている時点で、妥協して決定する意思決定のプロセス」とのこと。

    一方の「最適追及派(Maximizer)」は、意思決定において、最適解を重視し、多大な時間(手間)を投入する。

    私は買い物が好きではない。理由は、あまりにも選択肢が多く、ベストなものを探しているうちに疲れてしまうからだ。そして、多大な労力をかけて選んだモノでも、直ぐにより良いモノが目に入り、損した気分になる。典型的な「最適追及派」だ。

    コラムで指摘されていたのは、「最適追及派」が最適なモノの追及に一定以上の時間をかけても、それに見合ったリターンが得られるとは限らないということ。先ず、その時間を他のことに有効活用できる(機会費用)。意識決定を先延ばしすると、売り切れになる可能性もある。そして、購入後も、より良いモノが目に入り悔やみ続けることになる。私は、全て経験済み。

    これからは気持ちを切り替え、「満足重視派」で行こう!テキパキと意思決定を行い、浮いた時間を有効活用しよう。そして、一旦購入したモノに満足し、他にもっと良いモノがあったのではという雑念は捨てる。

  • 「伝えること」の難しさ

    書く練習を兼ねて「ぐろべいの独り言(ブログ)」を続けている。殆ど読者はいないが、書いたものを公開することで緊張感が生まれる。たまに過去のブログを読み返し、文章を手直ししている。

    自分の伝えたい事を文章で表現するのは難しい。私の考えはあくまでも私自身の経験・知識から生まれているが、そこまでは読者と共有できない。よって、独りよがりの文書となってしまう。プロの文筆家でも編集者が必要な理由が理解できた。

    単語の意味・使い方もGoogleで確認するようになった。外国語だと辞書を引かないと意味が分からない。しかし、50年以上使ってきた日本語だと、単語の意味を厳密に把握していなくても支障はない。ただ、文章を公開するのであれば、あやふやな記憶・理解では心もとない。

    先月、「投資」に関する勉強会を開催した(残念なことに参加者は数人)。大学でファイナンスを学び、仕事でも金融・財務に関わり続け、個人でも投資を行っている私にとって、普通の人が「投資」に対してどのような認識(苦手意識)を持っているかは想像の世界だ。

    金融教育分野の様々な教材を参考にしつつ、普通の人の気持ちに最大限の想像力を巡らし、何週間もかけて約1時間のプレゼンテーションを作成した(何度も作り直し)。それでも、出来上がりは理想に程遠い。

    人生100年時代を楽しむには、ある程度の金融知識が不可欠である。金融知識の不足が、人々を不安に掻き立てているところもある。私も人生の後半に入り、これからは自分の培ってきた知識・経験を少しでも社会に還元できればと考えている。そのためには「伝える力」を鍛えなければ!

  • 米国の農業が崩壊?

    梨農園サポーターとなって3年目。今年は天候に恵まれ、5日連続で摘果作業(疲れが溜まる)。今日は中休みで、明日でサポータ―作業は一旦終了。次は8月中旬からの収穫。

    今朝はのんびり起床、溜まってた日経新聞なかで興味を引いたのはFinancial Timesからの転載「見過ごされる米農業崩壊(2026年5月15日)」。

    農業の商業化が進んだ米国では、大規模化によりトウモロコシや大豆など輸出穀物の生産は伸びた。その一方で「果実や野菜の生産量は減少しており、生鮮果実の59%と野菜の35%を輸入している」。つまり、農業大国とはいえ、食卓の上る食材の海外依存度は高く、世界的な需給の影響を受ける。そして、輸出穀物生産者にとっては海外市場の確保が前提。

    そういえば原油輸出国である米国のガソリン価格が、世界的な原油高を受け高騰している理由も、ガソリン精製に輸入原油が使われているためとのこと。どんな大国でも世界情勢の影響からは逃れられないようだ。

    本題に戻ると、日本の食卓における輸入依存度は米国を大きく上回る。そして、安価な果実・野菜が海外から輸入され、国内産の価格が押し下げられている。その結果、農家は重労働に見合った報酬が得られず、家族を支えるための農業は成り立ちにくくなっている。

    最近の報道によると、人手不足が深刻化する配管工、電気工事、大工などでは、背に腹は代えられない発注者が大幅な賃上げに応じているとのこと。農業部門でも深刻化する人材不足が高賃金に結び付く流れが出来ないものか? 

    私の場合は、生活のためというよりは、農業に関わることが楽しいので(心身の健康維持)、富山市営農サポートセンターが運営する「楽農学園」を受講し、サポーター登録した。農業サポーター制度は農業従事者の不足・高齢化に対応した富山市の施策であるが、問題の根本的な解決には程遠い。

  • NISA貧乏!

    今朝のNHK朝のニュースで「NISA貧乏」が取り上げられた。今年の流行語大賞か?

    「老後2,000万円」のときもそうだが、感情に訴える言葉に便乗し騒ぎ立てる人、踊らされる人、同じことの繰り返しのような気がする・・・

    「NISA貧乏」とは、NISAの非課税枠を最大限に利用しようと焦り(特に若者)、無理をして投資資金を積み増し、日々の生活が貧乏になることらしい。バーゲンセールでお得感につられ、余計な買い物するのと同じ?

    若い時から投資の経験を積むことは重要。しかし、もし将来を心配するのであれば、問うべきは「どのような人生を生きたいか?」であろう。その実現に必要なものは知識・経験・スキル・人脈等のはず。先ずは、自分への投資(健康を含め)を優先すべきでは?「稼ぐ力」と「健康」があれば、労働力不足が深刻化する日本、年齢に関わらず収入は得られる。

    怖いのは投資の中毒性だ。ゲームのように競争心が芽生え、目先の点数に拘り過ぎると、無理をしてでも積立金額を増やし、ハイリスクな投資にも手を出してしまう。そして、市場の乱高下が激しくなると(まさに現状)、気が気ではなくなり、肝心の本業が疎かになる。

    NHKの朝のニュースでも伝えていたが、先ずは「お金」を正しく理解することが重要(金融教育)。正しい知識のみが、「お金」が引き起こす良からぬ感情(不安、欲望、嫉妬)から身を守ってくれる。

  • 「頑張り過ぎ」の副作用

    今朝の日経プラス連載「元気の処方箋」のタイトルは「不調の多くは過剰から」であった(2026年3月21日)。日本人の美徳とする「頑張るべきだ」という思い込みが、体に無理を強い、不調の原因になるとのこと。

    記事によると、筋肉は使われた後の休息で修復され、より強くなる。無理を続けると回復されず、微妙な損傷が蓄積し、不調を引き起こす。大切なのは疲れや痛みを伝える「体の声に耳を傾けること」。

    ここ一週間程、腰痛でジム通いを控えている。一種の職業病で、これまでも年に1、2度ほど悩まされてきた持病。医者からは体幹を鍛えれば改善すると言われ、ジムでは有酸素運動の合間に、Youtube先生(スマホ)を見ながら30分の体幹運動を行っている。

    そういえば、最近、疲れが溜まっているのに無理をして体幹運動を続けていた気がする。私にも「頑張る魂」が宿っているようだ。6年前に早期退職し、脱メタボ宣言をしてから、ずっと体重を気にし、甘いものを控え、日々の運動を続けてきた(最低1万歩)。我ながらよく頑張った!

    前の主治医から、少し小太りくらいの方が長生きすると言われたが、やはり気にしていた。先日の日経でBMI基準値に関し「医療費抑制の効果などを踏まえ、50歳以上は上限を27とすべきだ」という主張が紹介されていた(「肥満指標、50歳以上は緩和を(日経新聞2026年3月10日)」)。

    現在、体重がかなりリバウンドし、BMIは基準の25に近づいている。しかし、これからは「美味し物を食べたい!」「今日は運動を休み家でゆっくりしたい!」という体の声には素直に従うこととする・・・(悩むところ!)。

  • 競争社会の生きる

    ハ・ワン著「あやうく一生懸命生きるところだった」を読んだ。韓国社会も超競争社会。著者は3浪して最難関美術大学に入り、イラストレーターの道に進む。しかし、成功とは程遠く、結局、お金と時間に追われた日々に疲弊し、40歳にして全てを投げ出す。

    ずっと「一生懸命頑張れ」と言われ続け、本人も頑張ってきたが、結果の出ない人生。何のために一生懸命頑張っているのか、立ち止まって問い直した。

    私自身、51歳で早期退職するまでは、人並みに頑張ったし、偉くなって稼ぎたいという気持ちはあった。でも、頑張っても結果が伴わないことが多く、どうにか少し偉くなっても、管理業務が増え、人間関係のストレスが増すばかりであった。

    多くの人が競争社会から抜け出せない理由として、著者曰く「これだけ頑張って来たから」「我慢してきたから」「お金を費やしたから」、そして「いい学校を出たから(プライド)」という思い入れ。ファイナンス的には「サンクコスト」への執着(過去に発生したコスト)。

    サンクコスト(この場合「過去の頑張り」)は、人生の意思決定に関係ない。意思決定で考慮すべきは、その意思決定によって「今後期待できる結果」と「今後必要となる頑張り」のみである。過去の頑張りを引きづっても、将来は変わらない。

    著者曰く、「同じ人生なら『一生懸命』より『楽しく』」。ぐろべい人生100年プロジェクトのモットーも「ぐろべいは100才まで人生を楽しみます!」。投手(野球)もリラックスしてマウンドに上がった方が、良い球が投げられるのでは?

  • 終活セミナー

    本日、私が長年関わっている国際協力NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」主催の終活セミナー「エンディングノートを書いてみよう!」にオンライン参加した。

    先日、自転車で移動中に車と衝突(怪我なし)。いつ、なにで死ぬか分からないので、残された人の為に必要な情報は整理しておこうと思いセミナーに参加した。

    100才までエンディングノートを更新していくのも大変なので、先ずは銀行、証券、保険、カード会社からの書類(明細など)を一つのファイルに纏めておこうと思った。最近は専らデジタルなので、年末残高ぐらいは印刷する?

    ただ、ノートに書き残すのも良いが、人生の最後にお世話になりそうな人との計画的な関係構築、意思疎通も重要では? 例えば、どのような医療・介護を受けたいかの項目では、ノートを介するより、「かかりつけ医」をもち、日頃から意思疎通しておけば安心。でも、そこまで面倒見てくれるかな?と不安もある。 葬儀や墓についても、お願いする人達に自分の意向を伝えておくことは可能。

    ぐろべい人生100年プロジェクトは、いかに100才まで楽しむかを目的にしているが、人生の終わりは必ず訪れる。終わりを見据えて(準備して)、今を精一杯楽しみたい。

    そうそう、シャプラニールが終活セミナーを行ったのは「遺贈」が目当て。私は長生きするので、かなり先の話になる。もし「遺贈」を検討中の人がいれば、是非ともシャプラニールに!