投稿者: ぐろべい

  • 歩かぬ地方

    今朝の日経新聞に「歩かぬ地方 都市部の半分」という記事があった。東京に長く暮らし、2020年に富山にUターンした私の実感に近い。

    とにかく田舎の人は歩かない。近くのコンビニに行くのも車だ!その昔、富山から兄が東京に出てきたときに一言「よく歩いたわ!」。東京では基本的に人は歩き、遠いときには公共交通を利用する。ある意味で健康的だ。

    田舎でも、皆が歩かないわけではない。朝夕には犬と散歩をしている人も多いし、健康目的でウォーキングしている人も増えてる(特に中高年者)。最近は、11月1日開催の富山マラソンに向けて走っている人を見かける。「脂肪」という重しを身にまとい、膝が弱い私は走らない。

    私自身は、基本的に車の運転は苦手で、天気が許せば自転車だ。日中に自転車で移動していると、大人で自転車に乗っている人の多くが外国人。日焼けした私を外国人仲間と思うのか、親近感をもった笑顔を向けられる。

    ただ、自転車移動は怖いときがある。基本的に車道を走ることになっているが、ダンプに追い越されるときは吸い込まれそうになる。私自身、車を運転しているときに前方を自転車が走っていると邪魔に感じる。自転車通学していた子供の頃と異なり、運転者の心理を理解していることで、自転車上の我が身を守っている。

    100才まで元気に歩ける体を維持したい!

  • 【脱炭素】政治的分断を克服する知恵?

    日本では地球温暖化対策に反対する政治勢力は限られ、富山県地球温暖化防止活動推進員である私も、安心して小学生相手に温暖化の話が出来る。

    一方、米国では、現職大統領が「気候変動」をリベラル派の「でっち上げ」と呼び、「石油を掘りまくれ!」と号令をかけている。しかし、表向きは「気候変動」という表現は避けつつ、水面下では着実に脱化石燃料が進んでいると言われている。

    「A Climate Change Rebrand」というNew York Times記事(2026年10月2日)が、この状況を上手く説明している。

    最近、ニュースで「エネルギー安全保障」という言葉をよく耳にする。特に、海外から輸入される化石燃料に依存する日本は、ホルムズ海峡封鎖の影響を大きく受け、安定したエネルギー調達の重要性が叫ばれている。

    シェール革命により世界最大の産油国のとなった米国でも、世界的な化石燃料の供給不安・価格上昇の影響からは逃れられず、ガソリン・電気料金の上昇に国民の不満が高まっている。ロシアからの安価な天然ガスに依存できなくなった欧州でも、安定したエネルギー確保が政治課題となっている。

    このような状況を受けて、再生可能エネルギーへの移行が、「気候変動」の枠組みから、「エネルギー安全保障」「生活防衛」という枠組みで語られるようになった。再生可能エネルギーは、化石燃料への依存を下げるだけでなく、化石燃料の価格高騰により経済合理性も増している。

    「エネルギー安全保障」「生活防衛」と言われしまうと、気候変動懐疑派も再生エネルギーへの移行に反対できなくなる。意見が分かれる政策分野において、言い方(表現)を変えることで展望が開けた良い事例である。政治的分断が深刻化するなか、対話を進める参考となる。

  • 100才まで人生を楽しむ

    最初に思い浮かんだ言葉は「100才まで元気に頑張る」だった。しかし、これだと元気(健康)でないと100才まで生きる意味がないように解釈できる。

    プレジデント7月31日号の特集「機嫌がいい人の考え方」によると、健康であり続けること自体が幸せにつながる一方で、健康でなくても幸せに生活している高齢者がいるとのこと。

    「目が悪くて見えにくいけれど眼鏡をかければいい」「膝が悪いけど、まあ我慢できる」と自分の健康状態に折り合いをつけて生きている人達だ。

    100才まで生きれば、必ず病気もするし、怪我もする。避けられないことや、既に起きてしまったことを嘆くより、毎日機嫌よく、残された体の機能をフル活用して100才まで人生を楽しみたい。動けなくなったら、一日中、ストリーミングで好きな映画を見る?

    最近はストレスもなく、自由に生きているせいか、東京時代より機嫌が良くなった。嫌な上司も、言うことを聞かない部下も、難題を吹っかけてくる顧客もいない。たまに面白くないことがあっても、「まぁいっか!」と気にしないように努めている。自分の機嫌は自分次第(心の持ちよう)。

  • サイクリングコースご紹介

    今年5月、ぐろべいでは初めての宿泊ゲストを東京から迎えた(アイランダー行政書士事務所の鈴木先生)。

    その鈴木先生が、早起きして事務所近くの常願寺川をサイクリング。その内容を「ぐろべい発サイクリングコースのご紹介(常願寺川巡りコース)」に纏めてくれた。さすが行政書士、良く出来ている! 内容は末尾ボタン(サイクリングコース)で。

    行政書士を探している人は、是非とも鈴木先生に!ただ、東京在住なので相談はリモート。先生の名刺は末尾ボタン(鈴木先生名刺)で。

    ちなみに鈴木先生、行政書士の肩書に加え、知識科学の博士、東京国際大学データサイエンス教育研究所特任教授、北陸先端科学技術大学院大学の産学官連携客員教授、日本島嶼学会準会員、鉄道設計技士と凄い人。

    ただ、事務所の名前が示す通り、これまで約320の島を旅したおかしなアイランダーでもある。見た目は、首からカメラをぶら下げ、近所をウロウロしている普通のおじさん。

  • 「9割やめる生き方」

    雑誌Presidentの最新版見出しだ(2026年6月12日号)。いつもは図書館で読むが、人生の参考になりそうなときは迷わず購入する。

    人生長く生きると、様々なことが積み重なり、だんだん動きが鈍くなる。PC(スマホ)に大量のデータが溜まり、動きが遅くなるのと同じ? そのような「人生の重荷」の9割に別れを告げて、残りの人生を身軽に生きようという処世術を様々な人が寄稿している。

    私も2020年に富山にUターンしたときに、約30年に渡った東京生活で積もりに積もった「人生の重荷」を板橋のアパートに置いてきた。

    会社を退職し、東京からも離れたことで、仕事関係の人間関係がリセットされた。ただ、仕事以外の人間関係(例えばNGO)は、そのまま継続している。たまに友人が富山に遊びに来てくれると、すごく嬉しい!

    仕事には「やりがい」を感じ、「もっと良い仕事が出来るのでは?」と人並みには頑張った。ただ、気付かないうちに無理をし、「心の重し(ストレス)」が溜まっていたようだ。それから逃れるために甘いものを食べ過ぎ、「体の重し(メタボ)」になっていた(酒はそんなに飲んでいない)。

    富山に戻ってからは、これら「人生の重荷(心と体)」からは解放され身軽になった。ただ、最近、なぜか体重がリバウンドし、警戒水域に達している。 何故だろう? 楽しすぎか?

    富山へのUターンを機に人生をリセットしたため、残りの人生を見据えて(あと50年ぐらい?)、人間関係、社会との関わりを一から構築しなければならなくなった。ただ、これからの人生に何を求めるかのビジョンが固まっていない。どうしよう?

    一度リセットした人生、当面は身軽な人生を楽しむか!

  • 最適追及派 vs 満足重視派 

    5月12日付The New York Timesのコラム「The Nobel-Winning Psychologist Who Believed He Found the Secret of Happyiness」を読んで、経済学者ハーバート・サイモンが提唱した「Satisficing (満足重視)」という概念を知った。

    Google AIによると「Satisficing 」とは「完璧な選択肢を追求するのではなく、自分にとって十分な基準を満たしている時点で、妥協して決定する意思決定のプロセス」とのこと。

    一方の「最適追及派(Maximizer)」は、意思決定において、最適解を重視し、多大な時間(手間)を投入する。

    私は買い物が好きではない。理由は、あまりにも選択肢が多く、ベストなものを探しているうちに疲れてしまうからだ。そして、多大な労力をかけて選んだモノでも、直ぐにより良いモノが目に入り、損した気分になる。典型的な「最適追及派」だ。

    コラムで指摘されていたのは、「最適追及派」が最適なモノの追及に一定以上の時間をかけても、それに見合ったリターンが得られるとは限らないということ。先ず、その時間を他のことに有効活用できる(機会費用)。意識決定を先延ばしすると、売り切れになる可能性もある。そして、購入後も、より良いモノが目に入り悔やみ続けることになる。私は、全て経験済み。

    これからは気持ちを切り替え、「満足重視派」で行こう!テキパキと意思決定を行い、浮いた時間を有効活用しよう。そして、一旦購入したモノに満足し、他にもっと良いモノがあったのではという雑念は捨てる。

  • 「伝えること」の難しさ

    書く練習を兼ねて「ぐろべいの独り言(ブログ)」を続けている。殆ど読者はいないが、書いたものを公開することで緊張感が生まれる。たまに過去のブログを読み返し、文章を手直ししている。

    自分の伝えたい事を文章で表現するのは難しい。私の考えはあくまでも私自身の経験・知識から生まれているが、そこまでは読者と共有できない。よって、独りよがりの文書となってしまう。プロの文筆家でも編集者が必要な理由が理解できた。

    単語の意味・使い方もGoogleで確認するようになった。外国語だと辞書を引かないと意味が分からない。しかし、50年以上使ってきた日本語だと、単語の意味を厳密に把握していなくても支障はない。ただ、文章を公開するのであれば、あやふやな記憶・理解では心もとない。

    先月、「投資」に関する勉強会を開催した(残念なことに参加者は数人)。大学でファイナンスを学び、仕事でも金融・財務に関わり続け、個人でも投資を行っている私にとって、普通の人が「投資」に対してどのような認識(苦手意識)を持っているかは想像の世界だ。

    金融教育分野の様々な教材を参考にしつつ、普通の人の気持ちに最大限の想像力を巡らし、何週間もかけて約1時間のプレゼンテーションを作成した(何度も作り直し)。それでも、出来上がりは理想に程遠い。

    人生100年時代を楽しむには、ある程度の金融知識が不可欠である。金融知識の不足が、人々を不安に掻き立てているところもある。私も人生の後半に入り、これからは自分の培ってきた知識・経験を少しでも社会に還元できればと考えている。そのためには「伝える力」を鍛えなければ!

  • 米国の農業が崩壊?

    梨農園サポーターとなって3年目。今年は天候に恵まれ、5日連続で摘果作業(疲れが溜まる)。今日は中休みで、明日でサポータ―作業は一旦終了。次は8月中旬からの収穫。

    今朝はのんびり起床、溜まってた日経新聞なかで興味を引いたのはFinancial Timesからの転載「見過ごされる米農業崩壊(2026年5月15日)」。

    農業の商業化が進んだ米国では、大規模化によりトウモロコシや大豆など輸出穀物の生産は伸びた。その一方で「果実や野菜の生産量は減少しており、生鮮果実の59%と野菜の35%を輸入している」。つまり、農業大国とはいえ、食卓の上る食材の海外依存度は高く、世界的な需給の影響を受ける。そして、輸出穀物生産者にとっては海外市場の確保が前提。

    そういえば原油輸出国である米国のガソリン価格が、世界的な原油高を受け高騰している理由も、ガソリン精製に輸入原油が使われているためとのこと。どんな大国でも世界情勢の影響からは逃れられないようだ。

    本題に戻ると、日本の食卓における輸入依存度は米国を大きく上回る。そして、安価な果実・野菜が海外から輸入され、国内産の価格が押し下げられている。その結果、農家は重労働に見合った報酬が得られず、家族を支えるための農業は成り立ちにくくなっている。

    最近の報道によると、人手不足が深刻化する配管工、電気工事、大工などでは、背に腹は代えられない発注者が大幅な賃上げに応じているとのこと。農業部門でも深刻化する人材不足が高賃金に結び付く流れが出来ないものか? 

    私の場合は、生活のためというよりは、農業に関わることが楽しいので(心身の健康維持)、富山市営農サポートセンターが運営する「楽農学園」を受講し、サポーター登録した。農業サポーター制度は農業従事者の不足・高齢化に対応した富山市の施策であるが、問題の根本的な解決には程遠い。

  • NISA貧乏!

    今朝のNHK朝のニュースで「NISA貧乏」が取り上げられた。今年の流行語大賞か?

    「老後2,000万円」のときもそうだが、感情に訴える言葉に便乗し騒ぎ立てる人、踊らされる人、同じことの繰り返しのような気がする・・・

    「NISA貧乏」とは、NISAの非課税枠を最大限に利用しようと焦り(特に若者)、無理をして投資資金を積み増し、日々の生活が貧乏になることらしい。バーゲンセールでお得感につられ、余計な買い物するのと同じ?

    若い時から投資の経験を積むことは重要。しかし、もし将来を心配するのであれば、問うべきは「どのような人生を生きたいか?」であろう。その実現に必要なものは知識・経験・スキル・人脈等のはず。先ずは、自分への投資(健康を含め)を優先すべきでは?「稼ぐ力」と「健康」があれば、労働力不足が深刻化する日本、年齢に関わらず収入は得られる。

    怖いのは投資の中毒性だ。ゲームのように競争心が芽生え、目先の点数に拘り過ぎると、無理をしてでも積立金額を増やし、ハイリスクな投資にも手を出してしまう。そして、市場の乱高下が激しくなると(まさに現状)、気が気ではなくなり、肝心の本業が疎かになる。

    NHKの朝のニュースでも伝えていたが、先ずは「お金」を正しく理解することが重要(金融教育)。正しい知識のみが、「お金」が引き起こす良からぬ感情(不安、欲望、嫉妬)から身を守ってくれる。

  • 「頑張り過ぎ」の副作用

    今朝の日経プラス連載「元気の処方箋」のタイトルは「不調の多くは過剰から」であった(2026年3月21日)。日本人の美徳とする「頑張るべきだ」という思い込みが、体に無理を強い、不調の原因になるとのこと。

    記事によると、筋肉は使われた後の休息で修復され、より強くなる。無理を続けると回復されず、微妙な損傷が蓄積し、不調を引き起こす。大切なのは疲れや痛みを伝える「体の声に耳を傾けること」。

    ここ一週間程、腰痛でジム通いを控えている。一種の職業病で、これまでも年に1、2度ほど悩まされてきた持病。医者からは体幹を鍛えれば改善すると言われ、ジムでは有酸素運動の合間に、Youtube先生(スマホ)を見ながら30分の体幹運動を行っている。

    そういえば、最近、疲れが溜まっているのに無理をして体幹運動を続けていた気がする。私にも「頑張る魂」が宿っているようだ。6年前に早期退職し、脱メタボ宣言をしてから、ずっと体重を気にし、甘いものを控え、日々の運動を続けてきた(最低1万歩)。我ながらよく頑張った!

    前の主治医から、少し小太りくらいの方が長生きすると言われたが、やはり気にしていた。先日の日経でBMI基準値に関し「医療費抑制の効果などを踏まえ、50歳以上は上限を27とすべきだ」という主張が紹介されていた(「肥満指標、50歳以上は緩和を(日経新聞2026年3月10日)」)。

    現在、体重がかなりリバウンドし、BMIは基準の25に近づいている。しかし、これからは「美味し物を食べたい!」「今日は運動を休み家でゆっくりしたい!」という体の声には素直に従うこととする・・・(悩むところ!)。